2026/09/27 19:23
インサイドアウトスタディー帰朝報告
8/19〜26までインサイドアウトスタディーに青年部1名が参加し、9/10の脇祖さま報恩会後、調布教会で帰朝報告を行いました!
以下、帰朝報告より抜粋です。
私は 8/19〜8/26 の 8 泊 6 日、青年ネットワークグールプ主催のインサイドアウトスタディーに参加し、カンボジア王国に行きました。
1 日目は第二団参会館に宿泊し、2 日目は丸一日移動日でした。成田からベトナムのホーチミンでトランジットし、カンボジアのテチョ国際空港に到着しました。
空港は綺麗でしたが、空港の外は草原が広がりなーんにもありませんでした。首都に近づくにつれ、戦後の日本を彷彿させるような街並でした。
どこもかしこも工事中で、the発展途上国という印象です。雨季の時期でしたが一度もスコールに当たりませんでした。日中はサウナにいるような蒸し暑さで、ありえないぐらい汗をかきました。
3 日目は、慰霊供養のため、ポル・ポト政権下で行われた大量虐殺の処刑場跡地である、キリングフィールドに行きました。敷地内には、数えきれないほどの犠牲者の遺骨(頭蓋骨)が納められた巨大な慰霊塔が建っています。その前で慰霊供養をしました。
私は献花のお役をさせてもらいました。この場所でこんなにもたくさんの人が苦しみ、亡くなっていったのだという事実を目の当たりにし、ただただ圧倒されるばかりでした。
切れ味の悪いヤシの木の葉で首を切られたり、スレインという毒のある果物を食べさせられて、苦しみなが亡くなっていきました。弾薬を節約するという狂気的な理由から、幼い子どもや赤ちゃんの頭を木に打ち付けて処刑するという行為が行われました。現在では、その木をキリング・ツリー(悲劇の木)と呼び、犠牲になった子どもたちの霊を弔うため、世界中からの訪問者によって捧げられた無数のカラフルなミサンガやブレスレットが幹に巻かれています。私もミサンガを持っていけばよかったと勉強不足さをとても悔やみました。そして涙が止まりませんでした。
2件目に訪れたのは、トゥールスレン虐殺博物館です。ポル・ポト政権時代に「S21」と呼ばれる秘密尋問収容所として使われた負の遺産です。ここではたくさんの知識人がひどい拷問にかけられ苦しみながら亡くなった場所です。
約 2 万人が収容され、帰還できたのはたった 12 人。もともと高校だった建物で、かつての教室が独房や尋問室に変えられた様子、収容された人々の膨大な顔写真、拷問器具などが当時のまま生々しく展示されています。
1 日 2 回のうず湯しか食べることができず、拷問を受ける日々はどれほど辛いことだったろう、いっそ死んでしまいたいのに死ぬことすら許されない、そんな毎日をもし私自身が過ごすことになったら…と想像することすら難しく、胸が締め付けられて言葉にならない感情になりました。
考え難い拷問の数々が生々しく展示されていて、私の思考が追いつきませんでした。ほこりっぽさと生臭さが今でも脳裏に焼き付いています。当時のまま残された教室の独房には、収容者をつないでいた鉄の足かせ、鎖の止め具、拷問の道具、そして床には血の跡がはっきりと残っていました。
四方八方に頭蓋骨がある中で慰霊供養をしました。猛烈な暑さの中、半室内でエアコンもなく、立ちっぱなしでご供養したのでかなり辛かったですが、犠牲者の辛さとは比べ物にならないと思いました。
4 日目の午前中は、首都プノンペンにある仏教研究所を訪問しました。ポルポト政権による宗教弾圧で、仏教は壊滅的な打撃を受け、9割の寺院が破壊されました。立正佼成会は 1995 年以降、一食平和基金から延べ1億 2400 万円の施設費を支援しました。そして 1998 年に再建が完了しました。
午後はプノンペン法座所に行きました。持参した学用品の贈呈やご供養をしました。
その後、翌日の小学校学用品支援のための準備をしました。クリアケースの袋に、ノート、鉛筆、鉛筆削り、消しゴムなどの文房具や、歯ブラシ、タオルなど、ゆめポッケのような品物を入れました。それに加え、お菓子と牛乳も入れたのには衝撃的でした。
法座をして現地の方とコミュニケーションをとりました。
5 日目、フン・センバラン小学校に行きました。
田舎の小学校なので、バスで片道 2時間半ほどかかりました。バスから降りると、小学生が盛大に迎えてくれました。昼食はランチボックスをいただきました。テーブルにアリが大量にいて悲鳴をあげそうになりましたが、現地の方は「そのアリは食べられるよ、お尻が甘くて美味しいよ」と言われました。
その後、和太鼓のプロを目指している大学生が太鼓を持参していたので、現地の小学生を囲んで「幸せなら手を叩こう」と「ミッキーマウスマーチ」を和太鼓に合わせて歌いました。
前日に準備した学用品を車から運んで机に並べました。その後のフリータイムでは、サッカーやバレーボール、縄跳びなど分かれて遊びました。
私は机で絵付けやぬりえをしました。最初は言葉が通じなかったけど、ジェスチャーや簡単な英単語でコミュニケーションをとることができました。ある子が完成したプーさんの絵付けを私にプレゼントしてくれました。私がオーバーリアクションで喜ぶと、周りにいた子たちが完成した絵付けやぬりえをどんどんプレゼントしてくれました。
帰りのバスでもらった絵付けの数を数えると、50 個もらっていました。50 人の子たちからもらったと思うと感無量です。ホテルで参加者や事務局の方と分けました。
フリータイムが終わり、手洗いレクリエーション時間。手の洗い方を教えて、石鹸を使って手を洗う練習をしました。その後、手が綺麗になった子供の爪を切ってあげました。爪がとっても伸びている子、爪に泥が入って取れない子など様々でした。みんな周りに来てくれてとてもかわいかったです。
そして、全校生徒に学用品を渡す前に、優秀学生には特別な学用品が贈呈されました。日本では学力にさほど差がなく、優秀な生徒だけ特別なものをもらえることはまずないので驚きました。優秀学生は基本綺麗な制服を着ていて、親御さんも見にきていました。
制服に関してはみんな統一のものではなく、上は白、下は黒などの暗い色、という指定だけだそうです。わりかし綺麗な制服の子もいれば、ボロボロの子もいました。胸のポケットが取れかかっていて何度も縫われた跡がある子もいました。兄弟や近所からのお下がりを着ている子がほとんど、とのことでした。
学用品を一人一人に手渡しし、学用品と一緒に渡したぬぐるみを大切そうに抱っこしていました。
6 日目は観光をしました。
独立記念塔、ワットプノムなどに行きました。
世界遺産のアンコールワットに行けなかったのがすごく残念です。
王宮も見学し、国の歴史を知りました。
首都プノンペンで最大の市場、セントラルマーケットを散策しました。
中には宝飾品や時計などが売られていました。飲食、衣類、生活雑貨などのお店がぎっしりと連なっていました。日本のメーカーも多くありました。
すべて生きた状態で販売しているみたいです。乾きもののようなものも多くありました。よーく見ると商品にハエみたいな虫が多くいましたが、現地の人は誰も気にしていない様子でした。タランチュラ、サソリ、コオロギ、へびなどのゲテモノも売られていて、美味しそうに食べている人もいました。
7 日目、みんなで歩いてイオンモールに行き、お土産を買いました。お客さんはほぼいなくて、すれ違う人は従業員ばかりでした。
飲食店は見慣れたお店が多く、ゲーセンや映画館も入っていました。本屋には日本のマンガが店頭にありました。
ホテルで解団式を行い、テチョ国際空港に向かいました。ラオスのヴィエンチャン空港とベトナムのハノイ空港を乗り継ぎました。
そして 8 日目の朝、成田空港に到着し、娘たちや母、家族の顔を見たらホッと安心して涙がこぼれました。
現代の日本に生まれた私と娘たちは、貧困に苦しむことや紛争から身を守るような危険性はなく、娘たちは毎日学校に行って当たり前のように教育を受けられています。
今の私が生きている目の前の小さな世界は、いわゆる平和です。娘たちと同世代のカンボジアの子供たちの現状を知り、理解を深めたいと思い今回参加を決めました。
今回の体験を通して、相手の見た目で偏見したり、固定観念の色眼鏡で見たり、支援してあげる側という隔てた考えをなくせる世界になってほしいと思いました。来年、次の人が参加できるよう声掛けをしてつなげていきたいと思っています。今青年部では一乗まつり、生誕地まつりに向けて頑張っています。目の前のことを一生懸命取り組む中で、いろいろな出来事に一喜一憂しています。私は今何がつらいのか、何が悔しいのか、私の感情と価値観を大切にしながら、相手と向き合っていきたいです。これからもレベルアップしていきたいです。









































